| 初年兵の教育は春3月に終わった。序列は首席であった。実技、学業を含めた総合点である。
4月には |
| 幹部候補生試験があり、首席の岡本は当然受験資格があった。この試験は将校になるための第1関門で |
| ある。36連隊全体で60人がこの試験にパス、岡本は2番だった。 |

幹部候補生時代 |
| 初年兵のひと握りがパスしたわけで、その中で2番だったというのだか |
| ら、心・技・体に人並すぐれたものを持っていたのだろう。 |
| さて、幹部候補生の訓練は、初年兵教育よりさらにきついものであった。 |
| 初年兵数有は軍人としての基礎知識と厳しい訓練に耐得る精神と肉体 |
| を鍛えるのが主たる目的。これに対して幹部候補生は、いかなる試練に |
| も耐え、 適切な判断で作戦を遂行できるような幹部の養成を目的として |
| いるのだから当然かも知れない。 |
| 昭和15年初夏のある日、夕食ラッパが鳴るのと時を合わせて「幹部候 |
| 補生は直ちに集合せよ」との命令が出た。当然夕食は取れない。指示さ |
| れた第1機関銃中隊前に集まる。 そこには大隊砲が3門、担架3つが置 |
| かれてあり、第1、第2、第3大隊に別れてその砲の前に整列した。 |
| 馬にまたがった教官が「ただいまより地獄の3丁目へ案内する」と張り |
| のある声で号令し、一行は営門を出て、連隊からさほど離れていない神 |
| 明神社へ向かった。 |
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| 教官の説明では「ここから各大隊が大隊砲を分解して福井市の葵公園(現、中央公園)ヘ搬走する。落 |
| 伍者があれば担架を利用せよ。 1位になれば電車で帰営を許すが、2位は大砲一門を引き、3位は二門 |
| を引き、軍歌を歌いながら帰営せよ」ということである。10数`の道を大砲を引きながら連隊に戻るという |
| のはたいへんである。 往路は、1位になるためにエネルギーを使い果たしたうえ、復路は大砲を引っ張っ |
| て帰るのだから2位以下になるとまさに踏んだりけったりだ。ましてや当時の道は、国道といっても狭く、 |
| しかも未舗装で凸凹が多いのだから鼻歌まじりで大砲を引いて帰るというわけにはいかない。「なんとして |
| も1位にならねば…」と幹候生たちは闘争心を燃やした。 |
| 60人が3つに分かれるのだから1大隊は20人。これだけの人数で大砲を分解して運ぶというのは重労働 |
| である。 砲身はもちろん、部品すべてが鉄の魂りだから重い。
とくに砲身は重たいうえ(約60`)、長さが |
| 1bしかない。2人も3人もして持つわけにはいかない。岡本は第1大隊に属し、指揮官は坪川健一候補生 |
| (県陶芸館長、元だるまや百貨店社長)で、彼は砲身運び担当に、岡本等、鈴木正典、有馬藤助の3人を |
| 指名した。いずれも柔道の有段者で、がっちりした体をしていたのと、根性があったからだ。 |
| 3人はどうして砲身を運ぶかを相談した結果、砲身をかつぐのは1人。道路わきの電柱3本ごとに交代す |
| ることにした。それも歩いていたのでは勝てない。走るのである。彼等の姿に、車は端によって道を開け、 |
| 沿線住民は「頑張れ」と応援してくれた。 でも、それが耳に入らぬはど苦しかった。まさに無我夢中であっ |
| た。「今から思うと、よくあんなことができたと思う。とにかく、もうすぐもうすぐと自分を励ましながら夢中で |
| 走った」 |
| 岡本は当時をこう述懐しているが、幼ないときからの人並み外れた負けん気≠ヘこんなとき大きなカ |
| を発揮したのである。 |
| しかし、試練はこれだけではなかった。福井赤十字病院の前までくると「毒ガス」の指示で防毒面をかぶ |
| らされた。暑いところへ持ってきて、空気の流通が悪いのだから始末が悪い。苦しみは倍加した。教官の |
| いう「地獄の3丁目」とは正にこのことだったのである。それでも第1大隊はチームワークがよく、葵学園で |
| 大砲の組立てを済ませ、全員集合整列を終わって第1位となった。 |
| この訓練で岡本が驚いたのは、誰がどこで聞いたのかは知らないが、福井市内や、近郊出身の家族が |
| ほとんど公園へきていたことである。 家族たちの横の連絡がいかに徹底していたかを示すもので、このこ |
| とは実践にも必要なこと。岡本は大いに教えられたという。 |
| さて、順位はともかく全員が揃ったところで、当時のだるま屋社長・坪川信一氏が全員にパンを配ってく |
| れた。教官は1時間の自由行動時間をくれた。午前7時集合である。岡本は姿をみせていた母と姉のとこ |
| ろへいき、持参してくれた心づくしのニギリめしなどを食べ、家族水いらずで楽しいひとときを公園で過ごし |
| た。「1位になったので電車で帰隊できる」と自慢すると、母親らは「よかったのう」と喜んでくれた。 |
| だが、その喜びは束の間だった。第1分隊のある候補生が集合時間に1分遅れたのである。軍律が厳 |
| しく、上官の命令は絶対視されていたのである。
「なにごとだ」ということになり、罰として2、3位の大隊 |
| 同様、大砲を引き、軍歌を歌いながら帰らねばならぬ破目になってしまった。 |
| わずか1分とはいえ、このわずかな時間が守れないために戦場では死を招くこともあり得る。近い将来、 |
| 兵を率いなければならぬ立場にある者だけに、たかが1分ではあるが許すわけにはいかないというわけで |
| ある。 |