福田元総理と金津国際ゴルフ場でゴルフを
楽しむ
 (向かって左 福井銀行市橋会長 中央 福田元総理)
岡本は幼ないころから非常に感受性が強かった。そして、その性格によるものからか、絵や書に
興味を持ち、福商時代は絵画部に籍を置いた。また在学中は書にも興味を持ち、とくに郷土の偉
大な文化人である橋曙覧の書の収集にカを入れた。
 曙覧は文化9年福井に生まれ、 国学を修め、 書に秀で、 和歌は幕末四歌聖の1人に数えられ
るほどの文化人てあったが、清貧の生活を送り、57歳の若さで亡くなった。

福井ユアーズホテルで開いた晋太郎会
福井支部結成式であいさつする岡本
  当時、 曙覧の書は市内の骨董品店で比較的安く手に入っ
た。岡本の記憶によると、 50銭くらいだったという。たかが50
銭とはいえ、当時(昭和8、9年ごろ)サラリーマンの平均給料
が月10円から12円くらいだったから、 50銭といえば、中学生
にとっては過分の全額であった。 町内きっての資産家だった
から、中学生の身分でも手に入れることができたのだろう。
 福商3年のときである。市内の骨董店で彼は松平春嶽公の
書いた七言絶句の掛軸を見かけた。その店は順化町の片山
古樹園。書の七言絶句は
    鷲近重三日漸長   山桜開虎映春陽
    太平景物在此裡   隊々遊人酔若
と書かれてあった。 岡本は字のすばらしさと、作者が春嶽公ということで、 なんとしても手に入れ
たい欲望にかられた。だが値段を聞いて驚いた。30円だというのである。サラリーマンの3ヵ月分
の給料に相当する値段である。50銭や1円ぐらいなら父親も気軽に出してくれるだろうが、こと30
円となるとそうはいかない。「中学生の分際でなにごとか…」と叱られるのは目に見えている。
 「なにかいい方法はないもんかの …」。 とにかくほしくてたまらない岡本は30円の資金づくりに
知恵をしぼった。その結果、 「当ってくだけろ」式で考えついたのが写真機を担保に金を借りるこ
とだった。岡本は当時、パールという写真機を持っていた。和製であったが、今と異なって個人で
写真機を持つ人は極めて少ない時代だったし、値段もべらぼうに高かった。 岡本は、このカメラ
を知っ合いの井沢額ぶち店に持ち込み30円を借りたのだった。結局は父親が金を出す始末にな
ったのではあるが、そのあたりを見通して金を借りるあたりは才走った岡本らしいやり方であった。
 父親の三松は、叱ってはみたものの、息子が馬鹿なことに使ったわけではなく、 立派な書に投
じたのだから、腹の中では 「将来は家宝になるかも」と思っていた節もあったようで、叱りの深追
いは無かった。

橘曙覧について講義する岡本
(昭和40年8月 福井地区ロータリークラブで)

山岸先生と絵画部の生徒たち(前列左端が岡本)
 書に興味を持つと同時に、絵画部に籍を置いていた岡本は、美人出身の山岸与三治という教
師の指導でめきめき上達し、四年生のときに画いた油絵が中央の画壇で高く評価され (H氏奨
励賞)その絵は日本大学総長、山岡萬之助の依頼で日伯親善に役立てるためブラジルに寄付
された。 彼にとっても学校にとっても名誉なことであったし、 なによりも、常に心配をかけていた
両親に対し大きな孝行となったのである。
 このように中学生時代から、書画に親しんだ岡本は、軍隊ではわずかな自由時間に古典や文
学全集を読みあさった。そして短歌も勉強し、「アララギ」を主宰する斉藤茂吉の著書を集めた。
 そして復員後は、取引の関係で知遇を得た熊谷太三郎(熊谷組会長、福井市長、参議院議員)
の紹介で土屋文明(歌人)について指導を受けた。別途掲載している歌集はどれ一つ読んでもす
しい。岡本の心が一つ一つの字句に深く刻まれている。
 岡本は小学校のころからホンモノかニセモノかを本能的にかぎわけた。えこひいきしたり、自分
の立場しか守らないような教師には徹底的に反抗した。 そしてその本能は書画骨董の鑑賞でも
遺憾なく発揮され、価値あるものとそうでないものを瞬時に見分ける。 鑑賞するときの目付は極
めて厳しい。鷹が獲物を狙うときの目に似た鋭さがある。
 でも如何に本能とはいえ、努力なくしてそうなったわけではない。やはり絵心プラス努力があっ
たのである。つまり県内はもちろん県外にまで出かけて有名作家(絵、陶芸、書など)の作品、
つまリホンモノを眺めるとともに、美術書にも目を通し鑑賞眼を高めていったのである。
 そういったことから、県立美術館のオープンに際しては美術評価委員として、同美術館の収集
品選定に大きな役割を果たした。でも彼はこのポストを1年で辞任した。岡本の名を語らってよか
らぬたくらみをしているということが耳に入ったためで「美術館や関係者に迷惑をかけるし、自分
自身にあらぬうたがいがかかってはたまらない」というのが理由だった。曲ったことの嫌いな彼の
性格がよく現れた一件であった。
 あまり知られていないが彼は小唄の名取りでもある。茶もたしなむ。実業家の彼は副の広い文
化人でもあるのだ。

舞台で小唄を披露する岡本(芦原 有楽荘)
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